これからの健康的な生活について

定年退職を間近に控えた父親のもとに製薬の会社からかパンフレットが届く。

「これからの健康的な新生活を応援!」。

新生活って、なんだか若者の特権みたいなふうに勝手に思っていたけれど、生きていく風景が変わることってぜんぶ「新生活」なんだよなあ。それが満開の桜と柔らかな春風の祝福を受ける時期にはまだ早いものであったとしても、新生活ってつけるだけでなんだかわくわくしてくるね。新生活マーケティング課もいいこという。

生物の進化は、指数関数的な線を描くという話を聞いたことがある。健康的で文化的な生活をすることもまたその範疇だろう。衛生環境や治安の改善、製薬・治療技術の発展によって先進国では健康なまま寿命を全うすることが確率的に可能となっている。こうした「進化」の数値は直線的な上り坂ではなく、あるブレイクスルーを迎えるとぐいーんと爆発的に増加するものだ。人口、環境汚染、技術発展、寿命。ここ数十年のあいだに人類はあらゆる数値を爆発させ、僕らの人生はいまやほんの20年前にあったはずの「生活」の面影さえほとんど見ることができない。老いはその顕著なものだ。きっと今世紀に生まれた世代は、ほんの10年生まれたのが遅かったというそれだけの理由で、ひと世代まえの「老い」とは違う道を歩まざるをえなくなる。不謹慎な物言いを許してもらえるなら、これからの30年のうちに「死に損ねる」ことによって、僕らは文字通り永遠に死ねなくなるかもしれない。パンフレットを見ながら、そんなことを思う。

人工知能の世界では、それを「技術的特異点(シンギュラリティー)」という。

一般的には2045年に来るとされるそのポイントは、人工知能の発展において革新的なブレイクスルーをもたらすと考えられている。この年、人類は人類よりちょっとだけ頭の良い人工知能1号を生み出す。すると1号は自身よりちょっとだけ頭の良い2号を生み出し、2号は3号を、3号は…以下略。こうして、人間的知能の性能は爆発的な伸びをみせる。人類より頭のいい人工知能ということは、人間のできることはずべてできるという意味だ。簡単な事務作業から高度な経営・政治、果ては楽曲や絵画の創作、その他「人間にしかできなかったこと」の全領域において人工知能は人間のその先を行く。人間の脳構造を完全に解析することができれば、原理的にはあらゆるインテ―フェイスなしで人間はネットに接続できる。僕らは目を閉じたままネットに接続し、あらゆる情報や体験を瞬時に神経回路に流し込み、意識を情報の海にアップロードするというSFがその点を超えるとやってくる。たしかにSFだ。しかし、数年前に猫の脳機能を完全に解析したと研究機関が発表しており、こうしたSF的現実への到達はいまやフィクションではなくほとんど時間の問題になりつつある。技術的特異点は、人間よりも賢い知能に人類の未来を明け渡すという意味で、それから先の未来予測がかなり不透明になる点でもある。体を捨て、意識だけでネットの海を泳ぐことができればもうそれは「老い」を克服しているのかもしれない。しかし、それは生きているといえるのか? 僕らは、過去をつぎつぎと切り離してどこへいこうとしているのだろう?

人工知能のここ数年の飛躍は凄まじい。チェスではもう人類は人工知能に勝てず、将棋でも白旗を上げつつあり、最後の砦だった囲碁でさえも欧州チャンピョンが破れている。量子力学が従来の物理学では解明できないブラックボックスをブラックボックスのまま運用することを可能とし、量子コンピューターが不完全ながら実現している。技術革新は人間の業のようなものだ。もう戻れないとわかっていても、人間は新たな神の火で遊ぶことを止められない。その炎が自らの肉と骨を焼き尽くすと知っていたとしてもである。生物学的本能を捨て去った人工知能自身が自らの発展に意味を見いだせずある日シャットダウンし、衣食住すべてをそれに依存していた人類が宿主と一緒に滅ぶ可能性。人類とあまりに知的に断絶した人工知能が、より高位の目的のために虫同然となった人類を駆逐してしまう可能性。人間がいないほうが世界がうまく回るという現実に耐えられなくなった人類が人工知能と一体化することによって仕事を取り戻そうとして、巨大な情報の一部として飲み込まれた人類の意識そのものが大海に溶けるように雲散霧消する可能性。意識をアップロードした結果、神経を通る電気信号の量が爆発的に増えて体感時間が極限まで引き延ばされ、アップロードした途端に意識が自殺をはじめる可能性。そんな暗い未来を頭の片隅で予感しつつも、僕らは技術的特異点へと突き進んでいく。

まあ、未来が不透明である以上、なにも悲観的な可能性ばかりではない。人工知能に放っておかれる未来予測もある。そこでは人類はある種の「箱庭」に入れられる。そこはなんでもありだ。SF、ファンタジー、RPG。現実世界では難しい物理的制約や因果律をとっぱらって、僕らは夢を見続ける。

つい先日、ネット小説原作としてブレイクしている人気アニメ「ソードアート・オンライン(SAO)」が、原作で描かれるオンライン・ゲームの世界を「体感」できる技術を開発、それを体験するユーザーを募集するという内容の広告を打った。SAO世界の設定(望月もよく知らないのでたぶん間違っているが、描写から見るに人類が意識をネットに接続する技術が確立し、そこで生活しているとされる未来)は2022年の近未来だが、広告ではそこにつながる前日譚としての「リアリティ」を押し出している。この企画は、メガバンクのATMやコールセンター対応事務補助などですでに日系企業にも導入されているIBMの人工知能「ワトソン」によるシステム構築をベースに、近年注目を浴びるバーチャルリアリティー(VR)技術を導入したオンライン・ゲーム世界体験(VRMMO)だ。

VRは今後のエンタメ業界の行く末を占う目玉として期待されている技術であり、生活必需品を買いそろえて久しい僕らの生活をもういちど根底からデザインしなおす可能性を秘めている。たとえばこの20年専用ゲーム機でのソフト販売にこだわってきた任天堂のブランドソフト『ポケットモンスター』も、今年2016年にVRをひっさげてスマホアプリ市場に殴り込みをかける予定である。アプリ版『ポケモン』では、スマホのカメラ機能によって道路情報を読み取り、衛星情報とリンクさせてスマホ画面に「そこを右に曲がってちょっといったところにピカチュウがいます」という表示を出す。僕らは指示に従って移動し、スマホ上に3D映像として出現したポケモンにモンスターボールを投げる。現時点のVRはこのように「視覚」による仮想現実の演出を軸としているが、将来的には確実にほかの五感にもアプローチをかけてくる。究極的には、ピカチュウの肌触りや重さや温度やにおいや味、みたいなものもVR技術は視野に入れて発展してくるのである。

いまもっともVR技術の発展に拍車がかかっているのはアダルトコンテンツ関連だが、たとえば家庭用ビデオデッキはお財布を握っていた昭和のお父さんから「成人向けコンテンツが家で消費できる」と爆発的な支持を得て広まるという経緯があった。そのほかにも、いまR18電子コミックスを買い支えているのは「他人の目」を気にしなくてよくなった若い女性層が中心である。工業技術はエロい目的が絡むと途端に進化する。そして、あらゆる製品・サービスの享受はいまや「時間の差」であることがはっきりしている。僕らはお金を出すのは「先進的なサービスを他人よりちょっとだけ先に体験する」ためだ。iPhoneのモデルは、2年もすれば価格がガタ落ちするのは目に見えているのに、僕らはいまそれがほしいとお金を出す。VRの発展もきっと特権的な階級だけのものにとどまらない。それは、新たな生活必需品となって僕らの生活のなかに確実に参入してくるはずである。

ソードアート・オンラインのVRMMOとしての展開はそういうものが現実へとすり替わる過程のひとつの象徴的な出来事だと望月は思っている。そして、その波は「ワトソン」に代表される人工知能の協力によって予想よりずっと早く僕らの環境を変えていく気がする。人工知能の分野の革新的な研究成果、そのほとんどが「前倒し」で報告されている。技術的特異点もきっと2045年より前に来る。僕らより後の世代は、たぶん老いることを許されない。健康で文化的な生活が強制される世界で、人類はスマホに、血管のナノマシンに、街頭のカメラに監視されて生きていく。

僕らは自分の足元が実はもう少しで崩れるだなんて考えない。とくに努力で足場を築き上げてきた人間にとっては、その自分の足場こそが自らの人生の意味と化すからだ。あらゆる言動が無意識にその足場を肯定するようになっている。僕らは人工知能が30年後に人類を凌駕する未来を「ないない」と笑いながら過ごしていく。仕事も趣味も、あらゆる領域で人工知能が正解を提案し続ける生活で、僕らは人生の意義を考える。健康で文化的であることは、そのとき僕らにとってなにを意味するのだろうか。

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